「耳刈ネルリと十一人の一年十一組」と「新橋烏森口青春篇」

 2014年11月に開催された「森橋ビンゴ×石川博品フェア」で、これまで影響を受けた人物や作品を問われた石川博品は最も好きな作家である中上健次や好きな作品である『平家物語』と共に椎名誠の名前を挙げている。

ルーツということでいいますと、小学生のときに椎名誠のエッセイばかり読んでいたのでその影響は大きいと思います。『日本細末端真実紀行』『わしらは怪しい探険隊』『インドでわしも考えた』は人生でもっとも読み返した本です。

特集2:『森橋ビンゴ×石川博品フェア』|FBonline

 完全に後出しになるんだけど、この回答を読む以前に「耳刈ネルリと十一人の一年十一組」を読んでいて椎名誠の自叙伝的な小説である「新橋烏森口青春篇」を強烈に思い浮かべた箇所があったのでそのことについて書く。


 きっかけは、色々あってクラスメイトのみんなで農芸隊の温室に泊まることになったこの場面のやりとり。

 毛布をかぶったまま立ちあがり、テーブルの隅でカードをしている連中のところに歩いていった。
「何か来たか?」
 そうたずねると、
「何も」
「来ねーよクソッ」
「ちょっと黙ってろ」
 と不機嫌そうに答える男子諸君に対し、
「異常なしだ」
 とナナイだけがおだやかな声を返してきた。
 彼女が手をオープンにすると、残りの三人はぶつくさいいながらカードを場に放り出した。彼らの前に置かれたマッチ棒をナナイが抱え込むようにして回収した。彼女の手元にはマッチ棒の山が築かれていた。
「クソッ、またやられた!」
 ヘイジンがテーブルをたたきかけて、眠っている女子を見、その手を収めた。
「彼女は手強いぞ。そろそろ本気を出すとするか」
 そういってサンガさんはカードを派手にシャッフルした。

 これを読んで思い出したのが「新橋烏森口青春篇」の次の場面。ある会社に勤めることになった主人公シーナが、仲の良い若手社員たちと共に深夜の職場で秘密の酒盛りを始めるところだ。

 高木は背広のポケットから一組のトランプカードを取り出した。
「酒飲みながらポーカーをさ、やろうよ。知ってるだろう?」
 と、高木は言った。
「おお、そいつはいいや、みんなでやろう!」
 と言って最初にとびついたのは鯨やんだった。小耳の川ちゃんはいつも酒を飲むとそうなるのだが、すこし舌たらずの口調で、
「おーもしろい。おれポーカーどうやるのかよく知らないけれどやろうやろう」
 と、子供みたいにはしゃいで言った。
 ぼくも種一もまったく異存はなかった。
 チップがわりに一本百円のマッチ棒が配られ、我々の酒盛りはたちまち夜更けの大勝負といったものにエスカレートしていった。

 一番の共通点はどちらもマッチ棒をチップ代わりにカードに興じているところ。他には夜遅くといった時間帯であることなんかが挙げられる。もちろん異なっている点も多々あって、特に飲酒の有無は大きな違いだろう。こうして2つを並べてみると文章も別段似ていない。実際のところ、これだけで「新橋烏森口青春篇」の影響があったと言うにはかなり厳しいだろう。共通しているマッチ棒をチップ代わりにすることもとっぴな考えではないし。
 それでも自分が近しい時期に読んだわけでも無いこの二冊を結び付けたのは、ある種の秘密基地感というか修学旅行の深夜のような雰囲気をどちらにも感じたということが大きかったのかもしれない。

「天久鷹央」シリーズの小鳥遊優に恋人はいたのか?

 最近「天久鷹央」シリーズをよく読み返している。

 作者である知念実希人が「このキャラクターのモデルは完全にシャーロック・ホームズですね」*1 と言うように、ホームズ役である天久鷹央と、ワトソン役の小鳥遊優が活躍する医療ミステリーなんだけど、個人的には装画がいとうのいぢということを差し置いても、ハルヒの影響があるんじゃないかなと思っている。あるいは読者である自分の楽しみ方がハルヒに近いという話かもしれないけれど。

 それはさておき読んでいて疑問に思った小鳥遊優の恋人について書いていく。

小鳥遊優の恋人

 シリーズ4作目*2 にして作中時間では最初にあたる、天久鷹央と小鳥遊優の最初の事件を描いた『スフィアの死天使 天久鷹央の事件カルテ』において、着けていたネクタイを元に天久鷹央に一年以内に彼女と別れただろ?と推測された小鳥遊優は自身の恋愛遍歴について以下のように独白している。

すべて鷹央の言う通りだった。去年このネクタイをプレゼントしてくれた恋人とは、今年の初めに別れている。

『スフィアの死天使 天久鷹央の事件カルテ』P24

 このやりとりは7月のこと*3 なので、この時点では恋人と別れてから最長で7か月ほど経っている計算になる。

 さて、そこから作中時間では4か月ほど経った『天久鷹央の推理カルテ』収録の「人魂の原料」*4で、小鳥遊優はこのようなことを独白している。

残念ながらこの数年、恋人はいなかった。この病院に赴任する前、大学病院に勤めていた頃は、毎日の勤務が忙しすぎてそんな余裕はなかったし、この天医会総合病院に来てからは、旺盛な好奇心にまかせてわけの分からない事件に首を突っ込みまくる上司に振り回され、これまた恋人を作る余裕などなかった。

天久鷹央の推理カルテ』P68

 最初に引用した方を信じるならば、小鳥遊優は恋人と別れて1年経つか経たないかというくらいのはずである。にもかかわらず「この数年、恋人はいなかった」と言うのは端的に矛盾しているように読める。

 もし仮にこれが作者や編集側のミスによって起こったことだとすると、今現在の設定で小鳥遊優に恋人はいたことになっているのかいないのか。個人的には小鳥が恋人と別れた原因の一つは、内科転向のあの事件なのかなと思ったりできるのでいた方が嬉しいけれど。

*1:http://hon-tube.com/pc/movie.php?movieid=1681

*2:前述のインタビュー動画で語られているように執筆順では1作目

*3:「去年の七月に僕が出向してくるまで、統括診断部はまともに機能していなかったのだ。」『火焔の凶器 天久鷹央の事件カルテ』P267

*4:天久鷹央の推理カルテ』の最初に収録されている「泡」は小鳥遊優が天医会総合病院に赴任してから4か月後の話(P17)で、「人魂の原料」は同じ月の話(P70)

私の中にあった大事なもの 「トラフィック・キングダム」と「オズの魔法使い」

トラフィック・キングダム」は、ペットを共通点の1つとした短編集の表題作で、女子中学生の桐原奈琉が主人公の物語。

 この小説には名前を挙げて言及される本が出てくる。それがオズの魔法使いだ。

ガキの頃好きだった絵本、『オズの魔法使い』、死んだお父さんが買ってくれたやつだけど、おくびょうなライオンが出てきて最後、何か勇気が出るやつもらったんだけど、何だったか思いだせない。

「トラフィック・キングダム」3→4

 この「何か勇気が出るやつ」は後に物語に現れるんだけど、それだけじゃなくて「トラフィック・キングダム」全体で「オズの魔法使い」を下地にしてるみたいだ。*1


 「オズの魔法使い」についてざっと説明すると(知ってるよという人は飛ばして)、竜巻でカンザス州からオズの国に飛ばされてしまった少女ドロシーが愛犬のトトと一緒に旅をして、無事家に帰るまでの物語。その旅の途中でドロシーは、脳のないカカシ、心臓の無いブリキの木こり、臆病なライオンに出会い、カカシは考えるための脳を、ブリキの木こりは心をつかさどる心臓を、ライオンは勇気をそれぞれ得るためにドロシーと一緒に旅をする。
 でも「オズの魔法使い」では「大事なものは自分の中にあった」ということがテーマの1つであるとしばしば言われる*2 ように、カカシと木こりとライオンがそれぞれ欲するもの(考える力、心、勇気)はオズの魔法使いに願うまでもなく、彼らの身に具わっていた。*3


 「トラフィック・キングダム」で奈琉は多華美と出会うことで変わっていくわけだけど、その奈琉の変化の中に「オズの魔法使い」との対応を見出すことができる。

 例えば「考えるための脳」では、奈琉は明香たちを自分で行先を決められない奴らと断じて、そのグループから抜ける。そのときの「オメエら、お似合いだよ。自分の頭で考えれねえバカどうし」*4 という奈琉の言葉があり、「心をつかさどる心臓」というのは多華美の秘密を知って涙を流して彼女を気遣うようになる奈琉に対応していている。*5 そして、「勇気」

「私、奈琉みたいに強くなりたい。この前、パケットの上に乗ってたでしょ? あれ見て私、すごい勇気あるなあって思ったんだ。私は全然勇気ないから」
「うちも勇気なんかないよ」
 勇気があったらこんな街、とっくに出てる。パケットに乗ってどこでも行けるけど、街の中ぐるぐるまわるだけで、どこにも行けない街。
 本当の勇気が欲しい。この街飛びだしていけるような。あとカネも欲しい。

「トラフィック・キングダム」3→4

 臆病なライオンのように勇気を欲しいと思う奈琉だが、彼女は多華美との喧嘩を経て欲しいものは既に持っていたことに気づく。つまり「大事なものは自分の中にあった」ことに気づく。

欲しいもの、どっか行ったらあるとかカネあったら買えるとかじゃなくて、私の中にあった。大事なもの、もう私、持ってた。みんなどこへでも行けるこの街は、みんなどこにも行けないようにできてて、でもうちら、そんなの関係なく心の中、秘密のこと考えたら、いつでもどこでもふたりで会える。ふたりだけど、秘密はひとつだから。

「トラフィック・キングダム」6→

 しかし、その大事な秘密は他人に奪われる。*6
 これまで作中で幾度となく描かれてきたのは奈琉が他人から何かを奪う姿だった――お店から電池を奪い、工場からソーラーパネルを奪い、意図せず染井から元哉先輩を奪う姿だった。ただ彼女は奪う/奪われるという連鎖の中にいて、今度は彼女が奪われる側に回る順番がきたのだ。*7

 オズの魔法使いはライオンに勇気入りと偽ったジュースを与えたが、奈琉に与えられたのは強姦のための睡眠剤入りの酒だった。そして、やはり奈琉にはちゃんと勇気が具わっていた。その勇気は多華美と出会う前から持っていたナイフに象られていて、最終的に人の命を奪うことになる。

 
 そうして物語は終わりへと進む。最後に唐突に現れたように思える軌道エレベーター(か?)は「オズの魔法使い」に照らし合わせて考えれば、ドロシーたちを異国に運んだ竜巻か。その2つの異界への門の意味合いは対照的で、竜巻で飛ばされて始まる「オズの魔法使い」は煎じ詰めれば家に帰るまでの物語だったが、軌道エレベーターで物語が終わる「トラフィック・キングダム」は街を出ていくまでの物語だった。
 
 作者は読者への返信で「奈琉や多華美は学校の屋上に掲示してあるような『大きな』ことばでは救われない子たちですので、それを自分たちで読み替えていく必要があったのだと私は思っています。」*8 と書いている。

 しかし奈琉は自分で行き先を決められない明香たちを「自分の頭で考えれねえバカどうし」と罵倒していたにもかかわらず自分たちの行き先をピーちゃんにまかせ、あれほど忌み嫌っていたはずの「仕方ない」という言葉を最後に使う。*9 そして多華美は鬼に食べられてしまったのかもしれないとさえ思う。そういった不穏さに満ちたこの結末は、奈琉が社会や連鎖とはまた違う何かに絡め捕られてしまったように感じられて、それでも誰からも奪われない場所を目指した彼女は多華美の膝の上で目を閉じる。きっと出会わなければこうはならなかった少女の膝の上で、たぶん安らかな気持ちで。

Tragic Kingdom

Tragic Kingdom

  • ノー・ダウト
  • ポップ
  • ¥1600

*1:これは東西南北についてもある程度そうかもしれなくて、奈琉は東中に通っている可能性が高いのだが上級生のヤンキーを倒すのは東の悪い魔女を倒すことに対応していて、そうすると西中の染井とのヤンキー抗争は西の悪い魔女との戦いに対応している、とか。そう考えると中央の高校に通っていると思われる元哉先輩はオズの魔法使いに対応していて、けっこう綺麗にはまる

*2:例えば『完訳 オズの魔法使い』の訳者である宮坂宏美はその訳者あとがきで「そして、必要なものはちゃんと自分のなかにそなわっているということを教えてくれるのです。」(p221)と書いている。

*3:もっと言うなら、ドロシーの家に帰りたいという願いも銀の靴という形で具わっていた

*4:http://ncode.syosetu.com/n3182di/6/

*5:涙は「オズの魔法使い」においてしばしばブリキの心の象徴だった

*6:「先輩が多華美の足首つかんで持ちあげる。小指と薬指しかない足が先輩の顔の前に来る。/『見ろよ、これ。こんなんなってんだよ。すごくね?』/ そういって、指のないつるんとしたとこ、舌出して、舐める。残ってる二本の指、口の中に入れる。ぺちゃぺちゃ、でっかいアイスでも食べるみたいにしゃぶる。」(http://ncode.syosetu.com/n3182di/6/

*7:父親の件を考えれば、少なくとも二度目の

*8:http://novelcom.syosetu.com/impression/list/ncode/863096/

*9:「住むべき国、どこだか知んないけど住むなら私、あったかい国がいいなあって思って、飴食おうと思ったけど、自分のコートといっしょに焼いちゃったから、なくて、仕方ないから目を閉じて、多華美の胸、滑りおちて膝の上、頭預けた。」(http://ncode.syosetu.com/n3182di/6/

「魔法使いの夜」第十三章『帰り道』について

 本編の実質的な終章である『帰り道』は激しいアクションシーンはないが、各要素に意味を持たせているように感じた。そのことについて「畦道と山道」「月」「星空」あたりに注目してあれこれ書きたいと思う。

畦道から山道へ

 橙子&ベオとの争いが終わり平穏な日々がやってきたと思ったのもつかの間、草十郎は青子と共に彼女の実家に行くことになる。
 青子の実家がある秋古城は、久遠寺邸のある三咲町よりは田舎だが、草十郎のいた「山」ほどは文明から遠ざかってはいない。二人は家のある山の上まで歩いていく。

靴には土の感触。
町とは違う柔らかさに、青子は懐かしさを感じている。
彼女にとっては、中学生時代まで毎日のように通った道だ。

道は長く、しばらくは畦道が続いている。

 町とは違う感触の畦道から、昔を思い出す青子。

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 駅から続く畦道を歩きながら、青子にせっつかれて、橙子さんとの一件について聞く草十郎。ときに冗談を織り込む会話と、朗らかなBGMである「家路」が相まって、とても和やかだ。


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道はいつしか、畦道から山道になっていた。

はげ山には街灯も民家もなく、明かりは星と月の光だけだった。

 しかし人の手で作られた畦道から山道になると、会話の色調が変わる。青子が記憶を消されてしまうことを草十郎に打ち明けると、BGMはどこか不安げな「メインテーマ/眠り」になる。町の明かりは届かなくなり、星と月の光だけがあたりを照らす。

 二人は山道へと進むことで、青子の実家へと近づくと同時に、草十郎のいた「山」の世界にも近づくことになる。どちらも二人の過去にまつわるもので、草十郎と青子の仮初の過去の場として機能する。
 
 そして青子に問われ草十郎は過去を語りだす。

月と草十郎のいた世界

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 草十郎が過去を語っているときに何度も月が挿入される。

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 草十郎が山を下りるところまで話すと、青い月の明かりはしぼんで消える。彼の世界から、明かりは消えてしまう。

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道の終わりには、彼女の帰る場所があった。

 草十郎の話が終わると、消えた月の明かりと対比するように青子の家の明かりがあらわれる。それは帰る場所が変わらずにある青子と、そうではない草十郎の対比だ。つまり明かりは帰る場所(の象徴)として描写されている。

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彼の棲んでいた世界は、ある意味で完成していた。
一つの事柄を成立させたければ、それ以外は何もない世界を作ればいい。

 分かりやすく象徴的な構図。それ以外は何もない世界。

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 町の光が届かない山での月は、草十郎にとって帰る場所であった「山」の象徴だった。
 ここでの会話以降、月が画面に映ることは無い。*1 草十郎から月の明かりは消えてしまった。

青子と草十郎の星空

 その後、家に入る前に青子が、祖父との会話の後に草十郎が、それぞれ空を見上げる。上が青子、下が草十郎の見上げた星空だ。

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 青子の見上げた星空は、青く澄んでいる。それに対して草十郎の星空はくすんでいる。メッセージウィンドウの有無もそれを強調している。

 なぜ、草十郎の空はくすんでいるのか?

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「山ではね、蒼崎。星は本当に手が届きそうなんだ。届かないのは分かっていても、望めば本当に掴めそうなぐらい近いのに。都会の星は、そう思う事さえ許してくれない」*2

「……今まで、目に映るすべてを山と比べていた。こんな場所は、本当は嫌いだったんだ。今でも、正直なじめない。
 でも、いつか比べるのは山になってしまうんだろう。自分は、こっちに下りてきてしまったんだから」

 人里に下りてから見るもの全てを「山」と比べていたことを告白する草十郎。*3 たしかに青子が魔法で顕現させた、(おそらくは)「山」の星空に比べると、彼女の見上げた澄んだ星空であっても手は届きそうにない。

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 その「山」の星空と比べているから、草十郎に星空はくすんで見えている。
 そして二人は帰るために山道を再び歩く。今度は、山道から畦道へとすすんでいく。

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 歩きながら有珠について会話する二人。その前方には、有珠が待っているだろう、そして今の草十郎の帰る場所である街の明かりが仄かにあらわれる。

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 不意に、草十郎は見上げたまま問いかけてきた。

「ひとつ聞きたいんだけど、君に後悔はあるのかな」

 その問いに青子は答える。

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「ないわよ、そんなの。だってそれをしない為に、今を頑張ってるんだもの。
 後悔なんてのはね、草十郎。するものじゃなくて、無くしていく為にあるものなのよ」

 草十郎が憧れる、これぞ蒼崎青子という答え。過去を美しくする為に生きている。

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 噛みしめるように、彼は万感の想いを葬った。
 もう形も匂いも薄れている全てに、手を伸ばさず、手を振った。

「――そうか。後悔も、無くなるものなのか」

 ここで、これまでの全編を通して描かれてきた、草十郎の過去への執着は(ひとまずの)結末を迎える。

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 それを反映して、ここで見上げる草十郎の星空は、青子の見上げたものと同じ青く澄んだものになる。メッセージウィンドウも無い。それは「山」の星空とは比べずに空を見上げることが出来たからだ。彼は今の生活を受け入れ、過去に別れを告げる。*5

山道から畦道へ

 二人は会話を続けながら、山道を歩く。

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道は、もうじき平坦な路面に戻ろうとしていた。
柔らかな土の地面は、畦道の固い土の道になるのだろう。
その前に、ぴたりと草十郎は立ち止まった。

 山道から畦道に変わる直前で草十郎は立ち止まり、青子に言う。

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「おめでとう、蒼崎」
 青子はわけも分からず目をまたたかせる。

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「新しい年だ」
 喜びに満ちた笑顔で、そう返答した。

 新年の祝いの言葉とともに、山の木々を抜け、今の帰る場所である街の明かりがクローズアップされる。夜明けのようにも見えるそれは、草十郎にとっての新たな明かりだ。
 過去に別れを告げたばかりの草十郎が、山道と畦道のまさに境界で、新年という新しいときを祝う。その前方は有珠の待つ街の明かりで輝いている。

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 なのに、たった少しの言葉だけで。
 遠い昔に置いたままの、鐘の音の奇跡を信じていた少女が振り向いた気がしたのだ。

 思い出の中で振り向く少女は、初めての振り袖なのに緊張の素振りもなくて、あんまり可愛くはなかったけれど。
 それでも、鏡越しに微笑んでしまうだけの愛らしさはあったのだ。

 青子の言葉によって草十郎は過去に別れを告げたわけだが、それとは対照的に、草十郎の言葉によって青子はつかの間、決別したはずの過去を思い出す。
 作中でことあるごとに草十郎が言う「人殺しはいけないことだ」という言葉が、青子が捨てたはずの無垢な良心に訴えるように、ここでも青子に過去を思い出させる。

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 空には満天の星の夜。
 ふたりは届かない星空の下、山道を下りていく。

 ここで星(空)=過去と捉えると、山に登ることは極めてシンプルな意味でほんのわずか過去に近づく行為だった。そして二人は戻れはしない過去に別れを告げて山を下りていく。その後エンディングと短い後日談が流れ、物語に幕が下りる。

おわりに

 久遠寺邸で暮らす三人の共通点として、三咲町に移り住んできた、ということが一つ挙げられる。

 蒼崎青子は秋古城で暮らし、久遠寺有珠はイギリスで暮らし、静希草十郎は「山」で暮らしていた。そのままならば決して出会わなかっただろう三人は、それぞれの理由で三咲町に移り住み、何の因果か、一つ屋根の下で生活を送ることになる。
 その中で彼らの自らの過去への対応は三者三様であるように見える。有珠は今もイギリスから運び込まれた屋敷で籠城をきめこみ、青子は前を見据えている。たぶん草十郎はその間にいる。
 
 次回作ではおそらく久遠寺有珠の過去について語られるだろう。楽しみでならない。

*1:アングル的に月がないとおかしい画面であっても

*2:『るりひめ』を見る限り小説版の本章にあたる章名は「ほしのはなし」ではなく「手を伸ばすには遠すぎて」

*3:分かりやすくするために時系列を変えているが、本来はもっと後の場面

*4:『そして、青色の魔法』

*5:とはいえ、それが最終的な解決であるかは分からない