「魔法使いの夜」アニメ化で考えたこと ゲーム版におけるテキストと画面の矛盾

 半年以上前の話になるけれど、「魔法使いの夜」が劇場アニメになることが発表された。これはこの作品にとって初の(本編の)他メディアへの展開となるわけだが、しかし別の見方もできる。というのも奈須きのこがこのゲームの元になった青年時代に書いた小説版をしばしば「原作」と呼ぶように*1 、そもそもゲーム版「魔法使いの夜」は原作小説のゲーム化だった、と捉えることができるからだ。

 とはいえ、その原作小説は今に至るまで公表されておらず、ごく一部の関係者を除いて読んだ人はいない。ゲーム版で読めるテキストも、小説版を再構成したものだから、小説版からどのように改稿されてゲーム版が出来たかは分からない。*2

 しかし、ゲーム版ではある部分でテキストと画面を意図的に矛盾させていると思しき箇所がある。ひょっとしたらそこに、小説版の痕跡やゲーム版の製作者たちの意図を見出すことができるのかもしれない。

十三章「ほしのはなし」でのテキストと画面の矛盾

 その箇所は十三章「ほしのはなし」でのことだ。
 話の冒頭、色々あって青子と草十郎は秋古城駅を訪れる。そこでは駅の外が以下のように描写されている。

駅のまわりにはコンビニエンスストアの一軒もなく、あるのは一面の畑と、道に立てられた街灯だけ。

 それから二人は青子の家へ向かうため山を登っていく。道がいつしか畦道から山道に変わると、景色は以下のように描写される。

はげ山には街灯も民家もなく、明かりは星と月の光だけだった。

まだ遠くで建物の輪郭も掴めないけれど、暖かそうな窓明かりから、あれが蒼崎の家だろうと草十郎は読み取った。

 それから青子の家へ着いた二人はまたもや色々あって、今度は駅に向かって山を下りていく。
 その時の景色は以下の様に描かれている。

眼下の景色は一面の闇。
その黒い海の中、灯台のように、小さな駅が輝いている。

 さて、いくつかの場面から景色の描写を引用した。
 そこから分かるのは、ここでの明かりは星と月、それに加えて駅と街灯と青子の実家のものがせいぜいで、二人の眼下には一面の闇が広がっているということだ。

 ここまではおおよそテキスト通りに画面の景色も描かれている。しかしここからテキストと食い違う要素が画面に現れる。
 その要素とは町の明かりだ。この目映い明かりはテキストで一切言及されないどころか、それまでの景色の描写と矛盾してさえいる。

 このシーンをテキストのみから考えてみると、星と月に彩られた夜空の下、青子と草十郎の眼下には一面の闇が広がっていることになる。そして遠く離れた社木からの鐘の音さえ聞こえるような静寂のなか、二人は闇の中で孤独に灯る小さな駅へと向けて山を下りていくという光景になるはずだ。

 しかし、実際のゲームでプレイヤーが目にするのは、切なくも朗らかな「きみのはなし」がBGMとして流れるなか、草十郎と青子が光り輝く町に向かって山を下りていく情景だ。そしてスタッフロールと共に「星が瞬くこんな夜に」が流れ、有珠の待っている久遠寺邸に戻ったところで物語に一区切りがつく。

 その中で町の明かりは、青く輝く木々や音楽などと共に、このシーンの二人の前向きさをより強調する役割を果たしていると言えるだろう。
 そしてその対となる働きとして、草十郎が憎むような瞳で星空を見上げた事をはじめとした、このシーンの暗い面への印象を弱めてもいる。

 仮に原作小説でのこのシーンのイメージに近いのは、テキストから考えたような町の明かりが無い景色の方だとするなら、ゲーム版の制作者たちはこのシーンをそれよりも前向きで輝かしいものとして描く選択をしたということになる。

 もちろん、前述したようにゲーム版のテキストは小説版を再構成したものだから、そもそもこのシーンに相当する箇所が小説版にあったのかすら定かではない。
 しかし何にせよ、ゲーム版「魔法使いの夜」が「ADVにしかできない」*3 ことに挑戦していたとするなら、このシーンではないにせよ小説とは違う仕方で物語が提示され、私たちに小説版とは異なった情感を抱かせようとしているはずだ。

魔法使いの夜」アニメ化に期待すること

 ゲーム版「魔法使いの夜」に対して、(ゲームを賞賛する意味合いで)アニメ化する必要や意味が無いという見方がある。
 例えば4gamerのインタビュー内で、奈須きのこは知人に言われた「映像化する必要がそもそもない」という言葉を極めて肯定的に紹介した。

奈須氏:もちろん,結果としてメディアミックスしていただけるのは嬉しいです。「まほよ」だってそうなってくれれば嬉しいけど,それよりも作品として,とにかく完璧なものを作りたい。「まほよ」発売後,知り合いのライターに「ここまでメディアミックスを無視したゲームをプレイしたのは初めてだ。映像化不可能とかいう謳い文句は何度も見てきたけれど,これは映像化する必要がそもそもない」と言ってもらえて,その言葉に凄く救われた。たとえ時代に逆行していても,それだけで「まほよ」は価値があると胸をなで下ろした。

https://www.4gamer.net/games/115/G011514/20120511075/index_4.html

 また「魔法使いの夜」アニメ化発表の際、「プリズマ☆イリヤ」等の作品で知られるひろやまひろしはゲーム版はアニメ化する意味が無いとまで言われていたと書いた。

ゲームの映像表現があまりに極まりすぎてて、これアニメ化する意味ねーなとまで言われていた魔法使いの夜がとうとうアニメ化。
たぶんバトルシーンよりも日常シーンの持つ妙な迫力の方が、アニメにする際ハードルが高い気がする。
非常に楽しみ。

https://twitter.com/hiroshi_/status/1475294891723091968

 両者ともアニメ化に対して好意的ではあるが、その必要や意味を否定する言葉を肯定的に紹介している。
 しかし、私はこのような見方をそうだとは思わない。
 なぜなら、こうしたゲーム版を絶対視する見方は、この作品もまた小説版から生み出された物であるという事実を見落としていると思うからだ。

 既存の「何かの代用品」ではない作品*4 から新しい意味や価値を作り出そうとする試みは、ゲーム版「魔法使いの夜」がしようとしたことに他ならない。私はそうした試みがゲームには出来て、アニメには出来ないとは全く思わない。
 そしてそのような意味や価値のあるアニメが出来たなら、ゲーム版が小説版にとってそうであるように、「魔法使いの夜」という作品にとって必要不可欠なピースの1つになるだろう。

 もちろん、実際にメディアミックスされた作品を見てみたら、取るに足らない作品だったということはあるかもしれない。けれど、そうした判断をするのは何はともあれ作品を見てからでも遅くはないはずだ。

 そういうわけでアニメ版「魔法使いの夜」には、鮮やかな快作を期待している。

*1:例えば旧公式サイトの奈須きのこのコメントでも「原作にあたる小説は、今から約14年前に書き上げたもので、自分にとっては”創作の原点”とも呼べる作品です。」と書かれている。

*2:一部、変更について明らかにされている点もある。例えば4gamerのインタビュー等で小説版には廃遊園地が舞台として登場しないことや、草十郎のイメージが変更されていることなどが語られている。

*3:「自分自身が本当に楽しめる作品が,よそから生まれ続けるためにも。「何かの代用品」ではない,「ADVにしかできない」ものにチャレンジしたかったんです。」(https://www.4gamer.net/games/115/G011514/20120511075/index_4.html) しかし、この言葉を鵜呑みにするのは危険かもしれない。というのはこの言葉をそのまま受け取ると、「TYPE-MOONの過去作品のノベルゲームは「何かの代用品」だった」と「過去作品で達成したことを奈須きのこはチャレンジと称している」の二択のどちらかを受け入れなければならないように思えるからだ。

*4:もちろん自分は小説版「魔法使いの夜」を読んだことは無いので、小説版は奈須きのこがインタビュー内で批判しているような「何かの代用品」だったということはありうる。しかし今のところ作者自身が「創作の原点」(旧公式サイトのコメントから)と呼ぶような作品ならば、そうではなかっただろうと考えている。